パンやま日記

パン山さんとの戦いを綴る日記

パン山 vs 隣の芝生の青さに染まるな

(a)「僕が適当に生きている今日は,もっと生きたかった誰かの明日かもしれない」
(b)「世の中には飢えている人がたくさん居る.ので,食べ物を粗末にしてはいけない」

いずれも本質的に同様のことを言っていると思う.ところで今日の我が国はある側面においては供給過多(質,量ともに)に陥っていることは確かで,余剰分を足りないところへ送ろうという発想は自然であろう.このようなある種の平均化について,(b)は可能であろうし現に実現しようとしているサービスを見たこともある.

しかし(a)はどうだろうか?(b)がある種空間的な平均化である一方で,(a)の不平等を解消するには時空間的な平均化を行わなければならない.パン山さんが(a)について直感的に不思議に思ってしまうのは,この時間方向の操作なくして(a)は解消されないからなのだろうか.

「いやいや別に解消しろと言っているわけではない.もっと生きたかった誰かの分も,あなたがしっかり生きたら良いのです」
「いやいや別に飢えている方のところに食物を持っていけと言っているわけではない,あなたが食べ物を粗末にせず,しっかり食べたら良いのです」

なるほどそうかもしれない.しかし,ならば,最初からそういえば良い.わざわざ他の境遇の方々を引き合いに出すことはあるまい.これはいわゆる「お隣のA君もテストで100点とってるんだからアンタもがんばんなさいよ!」とか「○○さんとこのお嬢ちゃん,もう結婚して子供もいるんだって,アンタはどうなの」とか「隣の芝生の青さに染まれ」の一般化である.こんなん言われたら「るっせー!」と怒鳴り散らして雨の中家を飛び出したものの,行く当てもなく,街中をとぼとぼと歩くはめになり,煌煌ときらめく街中は,なぜかパン山にとって色褪せて見え,「誰もおれのことを分かってくれないんだ…」などと一人ぼやいていると,「それはいいから,はやく来週の研究会準備をしないか」あっあなたはパタレコ神!(了)