パンやま日記

パン山さんとの戦いを綴る日記

パン山 vs 1年の振り返り

どうやら今年も一年が終わろうとしているが,依然として研究は終わる見込みが立たず,12月頭に設定したタスクの半分も達成できていないという体たらくであり,正直この先一生優雅な年越しというものはないのではないかという気すらしている.こうやって薄暗い下宿でカタカタと一人プログラムを組んで実験していると,なぜ私は白熱灯を40W*4にしたのだろうか,と思わざるを得ない.これがもし60W*4ならばもう少し部屋も明るくなり,さらには気分も明るくなることで精神的な余裕ができ,今まで気づかなかったバグに気づくことで実験結果も良くなり,年始に気分良く会議論文のカメラレディを執筆できるだろう.つまるところ,すべて白熱灯が悪い.

さて,そんな散々な年末を含む2011年であったが,実は散々なのはここ数週間だけであり,概ね良い1年だったと言える.ちょっと振り返ってみよう.

  • 1月: 修論真っ盛り.原稿をボスに見せたところ「味噌の入ってない味噌汁だね」というご指摘をいただく.
  • 2月: 諸々の事情につき,修論をそのままジャーナルにしてしまえということで,一路英訳&追実験.さらには共同研究の成果発表デモプログラムの作成など.なんか4タスクくらい並行してた気がする.やはり冬は忙しい.
  • 3月: まさかの東京出張中で被災.ジャーナルの締め切りが延びる.カレーを作ったら4食分くらいあって,数日カレー漬けになる.
  • 4月: D1はじまり.悠々自適の研究生活.今twilog漁ったら研究しかしてなかった.人生初の研究費(GCOE)ゲット.
  • 5月: 震災の影響でDC2締め切りが延びる.色々研究会にも顔を出す.twilog漁ったら研究しかしてなかった.
  • 6月: 「おなかすきすぎて涙を流しながら寝てて,目が覚めたらお昼でみんな既にご飯にいっていたので,コンビニでデカ王買ってきた今ここ」「たとえ峯岸が結婚しても動じない自信がおれにはある」というpostが,私のすさんだ生活を語っている.ジャーナル条件付き採録.DC2提出.DC2はまあ,2年めなので余裕をもって提出してた.
  • 7月: けいはんなの某研究所でインターン.毎日電車で論文原稿を書き,インターン先で研究をし,という生活に疲弊しつつも見事に25歳の誕生日を迎える.
  • 8月: けいはんなで遊び続ける.
  • 9月: 幸運にもジャーナル採録通知をいただく.インターン先の研究で結果がなかなか出ず,精神をすり減らす毎日.「二郎が二郎という食べ物であってラーメンでないのと同様に,博士後期課程は博士後期課程という生き物であって学生ではなかったのだ...」→なんとか結果が出て一安心.
  • 10月: ETRAという国際会議に論文投げる.採択3割ということなので,まあ通ったらいいやって感じで投げた.那智大社に行ったり,ヨガを始めたりと,スピリチュアルなことをやってたらDC2通った.
  • 11月: ↑のETRA採択.レビューを見ると,これでよく通ったなあというくらいボコボコだった.が,まあ通ったのでよしとする.その流れでCVPRに挑戦.10月~12月頭は,ほんと論文しか書いてなかった.
  • 12月: ぼちぼちETRAのカメラレディを用意しなければ,と思い,プログラミング再開するも大難航.死んだような顔で今日にいたる.

とまあ,そんな感じで,概ね研究しかしてなかった.ちなみにプライベートだと,先輩の結婚式があったり,身の回りで仲いい友人含め7組くらい婚約or結婚したりと,なんか一気にそういう話が増えた.かくいう私も彼女のご両親にあったり,彼女をうちの両親に合わせたりした.DC2通ったという報告を両親にしたら,「次は結婚だね!」と,妙に結婚を急かされた.つまりはそういう時期であり,このまま毎日研究だけやっているとそのうち,

A「おうパン山久しぶり」
P「お,おう...」
A「どうだ仕事は,おれは最近大口の顧客を捕まえてさ,ってお前はまだ博士課程だったか(笑)いい加減お前も身を固めないとな」
P「お,おう...」
B「あ,パン山くんだ~全然変わってないね(笑)東京は毎日せわしなくてさ~また学生みたいに遊びたいなあ~.パン山くんはまだ学生なんだっけ(笑)いいなあー毎日楽しそうで」
P「お,おう...」

みたいな感じで「お,おう...」しかしゃべることができなくなり,最終的には山に籠って仙人的存在になるも冬の寒さに耐えられず下山することになる.